なんとかびより

都内のサラリーマンが書く雑記です。日々の出来事や考えたことなど

就職氷河期の就活戦線で苦戦している学生のみなさまへ

就活 勝ち組 負け組 氷河期

「就活は勝ち負けではない」という主張について

最近、就活についてのニュースを目にします。内容はコロナの影響で新卒の内定取り消しであったり、次年度の新卒採用を無くす方針の決定などです。例えばJALやANAも来年度の新卒社員募集を中止にする事が決まりました。有効求人倍率は1.8倍前後あったのが今では1.3前後になったという記事も出ていました。今まさに就職氷河期が訪れており、これからの就活は今までのように売り手市場ではなくなっています。

就活についてのニュースコラムやブログで「就活は勝ち負けではない」という主張をよく見かけます。私自身はこの主張の意図や背景は理解していると自覚していますし、この考え方には賛同しています。ただし、前提条件付きで賛同しているという状態です。それは「自分の価値観を軸にした絶対評価ができる人にとっては」という前提条件です。

 

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他人との比較に軸にした相対評価の場合

私はリーマンショック後の就職氷河期世代の人であり、大学を卒業後のファーストキャリアを契約社員で過ごしました。当時私は当時「負けた」と自覚していた就活を経て最初の会社に入りました。なぜなら最初の会社はそもそも第一志望ではありませんでたし、待遇も満足のいくものではありませんでした。さらに私と同じ大学の同級生たちは私よりも多く内定を貰っており、しかも東証一部上場企業や外資系の有名企業からの内定だったのです。彼らと比較すると自分は有名企業はおろか1つも正社員の内定を貰えていませんでした。

私の軸は他人との比較にありましたので、当然優劣の判定が下されるわけです。人が何かの評価を下すときは基準値を作るのですが、その基準値は比較のうえで設定される事が非常に多いです。そうやって様々な物事には優劣がつくわけです。当時の私が見ていた世界は「何社内定がもらえるか」と「どのくらい有名な会社か」を「同級生との比較」で判断していました。そうなると当然「負け」の判定を自分に下すわけです。

 

自分の価値観を軸にした絶対評価の場合

確かに、当時の私は就活の結果に対して、自分の期待と他人の結果と比較して思い通りにいかなかったため非常に落胆し敗北感を抱いていました。しかし、 実は今現在、私は数回の転職を経て外資系企業で勤務しています。そして仕事のやりがいも待遇も十分に得られていると認識しています。自分なりに納得のいくキャリアにできていると実感しています。就活には負けたけど、そういう意味では私の就活を通して感じた敗北感は10年後の今では結果的にどうでも良い話になったいうわけです。就活の勝敗はどうでも良い事、つまり「就活は勝ち負けではない」という話になるわけです。

特に最初の会社で学んだものは非常に大きく、ビジネスパーソンとして成長を体感できました。他の会社に行っていたらどうなったかはわかりません。ただ、自分を必要としてくれた会社でしっかり活躍をして、成長する。そしてこの就活の結末を「成功」へと変えていく。こういった姿勢で前向きに仕事に取り組めた経験が「納得できる状態」にしたのだと自覚しています。

 

就職氷河期の就活戦線で苦戦している学生のみなさまへ

就活大変ですよね。みなさんは本当によく頑張っていると思います。

個人的には「就活は勝ち負けではない」という大人の主張は学生のみなさまには刺さりにくいのではないかと思っています。なぜなら学生のみなさまは受験戦争を経て今の状態にいるからです。受験は勝ち負けで就活は勝ち負けではない。そんな変な話、にわかには信じ難いものだと思います。

個人的には学生にとっての就活の勝敗は「敗者」が多く生まれるシステムだと思っています。そしてこれからは尚更就職氷河期となるので「敗者」の数は増える一方です。しかし、これもある意味社会の縮図だと思います。一握りの人に富が与えられ、生活レベルや待遇にとてつもない格差が生まれるわけです。人々はいつかそのことに気付きます。そこからのリアクションこそが人生の満足度に大きな影響を与えます。ある人は今与えられているものに感謝する事で自分の人生の満足度を担保するかもしれません。また、ある人は自分の置かれてる状況に対していつまでも満足せず、それに争うベく日々努力続けるかもしれません。

これを就活を経験した学生で置き換えて考えてみてください。就活では一握りの学生は大手企業から引っ張りだこです。一方その他大勢の学生は満足に内定を貰えていない状態だったりします。思い描いていた就活をする事ができず、そのことに気づいた学生が2人いたとします。1人は当初の理想からは外れた会社だったり業務でしたが、与えられたこの不況の中しっかし仕事ができ給与をきっちり貰える環境に感謝し、前向きに仕事に取り組んでいます。もう1人は今の敗北感をバネに実績を作り、社内外問わずより良いポジションにつけるように努力しています。今挙げた2人の例は、満足を得る事ができる可能性があります。しかし、例えば就活の敗北感をいつまでも引き摺り、その後何もアクションをせず、その現状を嘆くだけの人がいたとしたらどうでしょう。その人はいつまでたっても納得のいく人生を送る事はできないように思えませんか?

 

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